ボブ・マーリー:ONE LOVEを観てきました。
彼が生きた時代背景に併せて挿入される曲がマッチしていました。押さえて丁寧に描かれた良い映画でした。ただ、伝記的な要素を持つ映画では、主人公の生涯のどの時点を切り取るのか?という点はとても難しいですね。彼は右足の親指のメラノーマで亡くなりました。映画の中では医師にacral lentiginous melanoma(末端黒子型メラノーマ)と告知されていました。このブログでも2010年と2020年に取り上げています。
当時からサッカーでの外傷が原因ではないか?父親が白人(メラノーマは白人に多い病気)だからメラノーマになったのではないか?などの疑問が出ていました。これについては過去の記事で説明しました。
サッカーでできたキズが原因だったのかわかりませんが、(すでにあった早期病変:多くは爪の黒い線)が進んだことに影響したかもしれません。メラノーマは白人に多い病気ですが、それは紫外線によるメラノーマメラノーマが多いためで、手足や爪にできたメラノーマの罹患率(一定期間に発生する患者数)は人種間で差はありません。
さて、ボブ・マーリー(Bob Marley)とメラノーマ(2)・・で書いているメラノーマの治療については2010年当時の古い記述であり、現在はかなり進歩しています。免疫チェックポイント阻害薬のPD-1抗体(オプジーボ、キイトルーダー)が2014年に承認されたからです。発売から10年が経ち、効果に影響を与えるポイントがわかって来ました。残念ながら紫外線が原因として関係しないメラノーマ(手の平、足の裏、爪)は免疫チェックポイント阻害薬が効きにくいことがわかってきました。とくに爪のメラノーマが効きにくいようです。(Nakamura Y, Ann Oncol 2020)(Uhara H, J Dermatol, 2021) 新薬の開発に励まなければなりません。
さて、以前の記事でも書いたことですが、1991年に(本場のレゲエを聴きたくて)ジャマイカに行きました。飛行機では通路をはさんだ隣の席にラスタカラーの帽子をかぶったドレッドヘアの方がいて、気分が盛り上がりました。彼は機内食を断って、持参した小さなタッパに入ったものを食べていました。なんだか神々しく感じました。ホテルでは従業員が毎日”ボブマーリーのカセットテープを買わないか”と声をかけてきました。ホテルではレゲエバンドがUB40なんかをメインに演奏してていました(ラムをちびちびやりながら南の島で聴くレゲエのリズムはさらに心地よかったけど、UB40はイギリスのバンドだもんね。しょうがないけどボブマーリーのメッセージ性は少なかったかな・・・ボブマーリー以後のレゲエミュージシャン全体に言えることだけどね)。夕食のためにダウンタウンにホテルの車(セダン)で送ってもらったのだけど、運転手のお兄ちゃんが道々女の子に声をかけて車に乗せるものだから、最後は車内が結構ぎゅうぎゅうになって街に着きました。街は(何もトラブルはなかったけど)ライブハウスやぶらぶら町歩きをしてはいけない雰囲気が漂っていました(気にしすぎかもしれません)。夕食は(よせばいいのに)メニューに天ぷらがあったので注文したら、衣がホットケーキでした。中のエビは新鮮でおいしかったので、衣とエビを別々に食べました。帰国時は原因?で乗るはずのNY発モンテゴベイの飛行機が来ないことがチェックイン直前にわかり(近くにいたツアーの添乗員が教えてくれました)、ツアー客の後ろに着いて急遽キングストンに飛びました。キングストンは嵐で、雷光の中で空港上空を結構長い時間揺れながら旋回していました(タモリの世にも不思議な物語の一話にあった嵐の中で悪魔が飛行機の翼を壊している場面を思い出しました)。そもそも海外になれていない中での個人旅行のため、情報を取れず、空港内をうろうろしました。なんとか深夜にJFK空港にたどりつき、NYの街に繰り出す予定はキャンセルして、おとなしく空港そばのホテルで寝て、翌日帰国しました。映画を観ながらそんな昔のことを思い出しました。
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爪に黒い線(スジ)が入っている
参考にしたWEBサイト(正しい情報かわかりません)
Melanoma – Not a Respector of Persons
How and why did Bob Marley die?
ボブ・マーリーのメラノーマの経過
右足の親趾に友人たちとサッカーをしていてできた古傷があった。1977年7月に傷が治らないことに気づいた。爪の下で腫瘍が急に増大し、ダンスにも影響が出てきたので医師の診察を受け、メラノーマ(悪性黒色腫)と診断された。切断をすすめられたが、宗教上の理由で切断せず。(不確実情報だが)、そのかわりに植皮を受けた(腫瘍の上に植皮をしてもつかないので、たぶん悪い部分のみそぎ落としたのか?・・・私の想像)。1980年の夏の終わりにはメラノーマが脳や肺や胃に転移。それから1年後の1981年5月11日、ジャマイカへ帰る機上で様態が悪化し、マイアミに緊急着陸したが病院で死去。