2019 大晦日(3)

今年を振り返っています。

6月 皮膚科医にできること、皮膚に触らせてもらうこと、について書きました。昔書いた記事のリバイバルです。4年に一度の世界皮膚科学会で10数年ぶりにミラノに行きました。最後の晩餐、はすばらしかった。15分しか見られないという制約もよかったかもしれません。

職場の同門会総会で年に2-3回しか会わない同級生と一緒にいたタイミングで、横浜に住む共通の友人が亡くなったと奥様から連絡が入りました。ここ数年、年初に今年合うべき友人、として挙げていた友です。会えませんでした。彼の職場のそばの東京駅周辺でしょっちゅう会議をしていたのに。18歳から数年間の彼との多くの思い出がよみがえりました。経済学部出身の彼は、医者よりもっと社会的に大きく貢献できる仕事をする、と、よく言ってました。

紅白は竹内まりあの”いのちの歌”。

7月 旅行鞄などにくっついて家に持ち込むことがあるトコジラミを嘘寝作戦で退治するという論文を紹介しました。

37年ぶりに家内と函館を歩きました。トラピストもトラピスチヌもよかった。

紅白は嵐と米津さん。新しい国立競技場だ。関係ないけど、個人的には今年のNHK大河ドラマはとてもよいできだと思ったのだけれど、(いつものことだが)自分の好みと世間の好みはあまり会わなかった(視聴率の出し方が現状を反映していないのかもしれない、と信じたい)。

紅白は松任谷由実のノーサイド 「何をゴールに決めて、何を犠牲にしたの」・・・いい詩だ 結果だけを見てはいけないけど、過程は言い訳にならない、と、まだ思っていたい。

8月 アトピー性皮膚炎と汗について書きました。週末札幌にいることが決定次第、積丹でのシーカヤックを計画しました。今年は念願の神威岬先端に行けました。ソロキャンプもできて、夏をしっかり遊べたのでこれで冬も乗り切れそうだ、と思いました。義弟がこのブログのマークを新規に作ってくれました。今年は30年弱登っていたお山の診療所に行けませんでした。

紅白は松田聖子 この人もすごいなぁ 学生時代、山の中での何日か目に、松田聖子や竹内まりあやearth wind &fireの曲がラジオから流れてくると、街に帰りたくなったことを思い出した。

いつも月末ぎりぎりに記事を書いてなんとか欠落しないようにしてきたけれど、9月末にESMO(欧州臨床腫瘍学会)でバルセロナに行った帰り、トランジットのヘルシンキ空港でWifiつないだら母の危篤の報が入った。10月末に母を見送った。そして11月に医師の道を歩き始めたときの最初の指導医だった先生が逝った。

そんなさなか、新しい動きも始めました。皮膚がん患者は私が卒業した1980年代の年間5000人から、今年は6倍の3万人に増え、さらに増加しています。大学の皮膚科入院患者の6-7割は皮膚がん患者が占めるようになりました。皮膚科医は1万人いるけれど、皮膚がんを専門に扱う皮膚科医は、たぶん数百人(指導医は80余名)ぐらいしかいません。若手で皮膚がん患者を専門に診ることができる医師の育成を目的としてNPO法人(NPO法人皮膚オンコロジー若手教育機関)を作りました。11月最初の土日に大津で第1回の合宿を行いました。講師陣は旅費も自前で全国から集まってくれました。塾生の受けもよかったようですが、一番楽しかったのは私やNPO設立に走り回ってくれた京大の大塚先生や大阪国立がんセンターの爲政先生や講師陣でしょうか。

悲しいこと、うれしいことがたくさんあった1年でした。来年も何か1つ新しいことを始められたらと思います。

 

生ハム完成 今年は家内作

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