今日は当地でローカルな研究会がありました。そこで帯状疱疹になった方の家族が水疱瘡になる率を調べた報告がありました。開業している新澤みどり先生からの報告です。忙しい日常診療の中で、長い期間かけてこのようなデータを出す姿勢に頭が下がります。患者さんからの素朴な質問に対してきちんと答えるためにいろいろ調べてもきちんとしたデータが見つかることは意外と少ないのです。
例えば、
帯状疱疹になった患者さんに、
「家族にはうつらないでしょうか?」
「孫の初節句の席に呼ばれているのですが、行ってもいいでしょうか?」
「孫と一緒に風呂に入ってもいいでしょうか?」
「娘が妊娠中なのですが大丈夫でしょうか?」
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梅の枝に花が付き始めました ポップコーンのようです 春です。
焼きおにぎり 蕗味噌+醤油味
皮膚の模様ができるわけ(事件は現場で起きている)
週に1回、自分が興味を持った論文をみんなに紹介する会があります。抄読会(しょうどくかい)とかJournal Clubなどと呼びます。半年に1回程度自分に順番が回ってきます。今日が自分の当番でした。自分にとって異分野の論文を読む場合は、用語の解説などを含め、準備に時間が必要です。時間もなかったので最近読んだ中で面白かった論文”Changing clothes easily”を選びました。大阪大学の近藤滋先生達のテーマである、動物の模様はどのような仕組みでできているのか?という論文です。
日常の診療では、色素のパターンによってほくろやメラノーマ区別するのですが、良性と悪性を見分ける普遍的なポイントは規則性です。例えば良性のほくろは斑紋ならサイズや分布、網目なら網目の紐の幅や網目の目のサイズに規則性があります。つまり良性は一様です。でも斑紋や網目のパターンはどのようなしくみでできるのでしょうか?皮膚の表面が削れても皮膚のしわは前と同じように復活します。これは皮膚の下に上が欠損しても復活できるように情報が備わっているのでしょうか?生まれつき細胞に位置情報がインプットされているのでしょうか?でもそんなことをしていたら情報量がとんでもない量になります。ずっと上から指図しなければならないシステムは脆弱です。
近藤先生が明らかにしてきた研究結果では、模様は現場の細胞同士のいがみ合い(近くでは互いを牽制する抑制系)と遠く離れればどちらか一方がもう一方の細胞集団に助けてもらう(促進系)という微妙な関係(対話?)でできるのだそうです。
卒業のシーズンです。末っ子がもらってきたお花
厳しい寒さを生き延びた野沢菜 急に育ち始めました
餅 春に合いません
光アレルギーでしょうか?
今日は春分です。暖かくなりましたが、風が強くて花粉がばんばん飛んでいてつらいです。
さて、これから顔や腕に皮疹ができて来院する方が増えてきます。スポーツや農作業などの屋外での活動が増えてくるからでしょうか。たとえば屋外での作業の後、顔や腕に赤いぶつぶつがたくさんできてきた。去年も同じころに同じ症状が出たからきっと光アレルギー(紫外線アレルギー、光線アレルギー、太陽光アレルギー)じゃないだろうかなどと考えます。でも、この時期は植物などによる単純なかぶれもよく起きます。
今回は単純なかぶれと光アレルギーを区別するポイントについて
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外で仕事
患者さんにフキノトウをいただいたので蕗味噌に
最後の生ハム 表面にびっしりと白カビが生えました。
見えているものと見ているもの
以前の記事(ワインと皮疹と舟を編む)で、学生の実習の初日に皮疹をなるべく正確に言葉で表現する遊び?をやっていることを紹介しました。でも現在の電子カルテには皮膚の写真もレントゲン写真もCTもエコーも病理写真も高解像度で載っています。皮膚科の診断は見慣れた疾患であれば見た瞬間に診断がつきます。ある一定の順序で所見をとることは誤診を避けるために重要ですし、一番所見を取れる人が言語化しておくことがチーム医療では大切ではないかなどといった理由を挙げて、正当化してきました。
でも、本当にそうなのか?時代遅れの習わしにすぎないのではないか?そんな面倒臭いことをしなくても診断はつくのではないか?という感じ(不安)はずっとあります。
新聞の書評に出ていた本「言葉が違えば世界が違ってみえるわけ」を読んでみたら、言語表現が物事の見え方に影響を与えるらしいと書かれていました。
人参のヘタを水に浸けておいたらかわいい葉が出てきた
ジャパニーズスタンダード
3月に入りました。昨日は当地も強風にみまわれ家の周りの物がいくつか飛び散りました。春一番だったようです。
今日も冷たい風が吹いていましたが、なんとなく春の気配がします。くしゃみも2-3度出ました。
今日のお題はジャパニーズスタンダード。かぶれを疑うが、原因がわからない場合にはパッチテストという検査を行います。パッチテストは患者さんの身の回りの物質(化粧品、草花など)で調べるのが基本ですが、ウルシのようにもともとかぶれやすい物質がありますので、そのようなものについては検査用の試薬がセットで売られています。日本人がかぶれやすい物質のシリーズとしてジャパニーズスタンダードという製品があるのです。
このシリーズで調べられるものをまとめておきます。
卒業シーズンです。 動画は今は亡きスティーブ・ジョブズのスタンフォード大の卒業式でのスピーチの関西弁版です。いろいろ意見は分かれるかもしれませんが、私は感動しました。
太もも(大腿)の内側がしびれる
東京支部の皮膚科学会に行ってきました。学会では自分で発表する以外に他の発表を聞き、また教育的な講演も多いので勉強になります。また、医療機器や薬品会社の展示もあるので、新しい機械やスキンケア用の新製品をざっと見ることができます。本屋さんも出店します。大学や町の大型書店にも医学書コーナーはありますが、やはりスペースの関係から種類は限られます。学会に出店している本屋さんは皮膚科とそれに関連する本のみを持って来ますので、多くの新刊を手にとって見ることができます。学会参加の1つの楽しみでもあります。
前置きが長くなりました。昨日ふと手にとったプライマリーケア(よくある病気)に関する書籍に閉鎖孔ヘルニアが出ていました。骨盤の底の筋肉の隙間に腸が入り込んでしまうものです。大腿の内側が痛くなる、あるいはしびれるといった症状が出ます。閉鎖神経が飛び出した(陥頓した)腸と筋肉の間に挟まれたために、神経が支配する範囲(大腿内側)が痛むわけです。ほとんどが高齢のやせた女性に起きます。年齢や性別が診断上重要なヒントになる例です(必ず例外はありますが)。若い人に同じような症状が出た場合は、別の病気を考えないといけません。
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大根の花が咲いた
かぶれさせて治す2 円形脱毛症
かぶれさせて治す円形脱毛
免疫とは本来外から入ってくる好ましくない敵(主に感染症)から体を守る軍隊です。この軍隊が反乱を起こした病気を自己免疫疾患(いわゆる膠原病:こうげんびょう)といいます。自己の免疫が自分を攻撃した病気です。関節を攻撃すればリウマチ、甲状腺を攻撃すれば橋本病、膵臓を攻撃すれば糖尿病になります。つまり、攻撃された内臓の役割が壊されるわけです。
円形脱毛症は自分の免疫が自分の毛を攻撃することによっておきる病気です。攻撃によって毛が抜けてしまうのです。円形脱毛症の治療で国がまったく認めていないがよく効く治療が局所免疫療法です。免疫療法というと高尚な感じがしますが、脱毛部分にかぶれやすい物質を塗ってかぶれを起こすだけです。でもよく効きます。
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アロマオイルのかぶれ バルサムオブペルー
これまで、いくつか取り上げたことがありますが、かぶれを疑って来院した患者さんにで原因物質を調べるときにパッチテストを行います。皮疹が出た時期から疑わしい候補(製品)があれば、それらについて行いますが、一般的にかぶれやすい物質については前もって検査薬が病院に準備されています。スタンダードシリーズなどと呼んでいます。
下腿潰瘍(静脈弁不全による皮膚障害)の患者さんはいろいろな薬を傷に塗るので、外用剤にかぶれることがけっこうあります。かぶれの原因が時代とともにどのように変化していったかという論文を読んでいたらバルサムオブペルーが上位にランクしていました。香料です。
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アフリカを出た現生人類がどのように世界に拡散していったのか感染症の側から観察してみようと、このブログでいくつかの記事を書いてきました。ある病原体を世界中から採取し、その遺伝子の変異から先祖はどの地域の人のものか?という報告を紹介してきました。
現生人類がアフリカを出てから少なくても数万年以上たっているわけですから、対象になる感染症はその年月に耐えらるような特徴が必要です。インフルエンザのようにすぐに拡散し、どんどん変異していくような菌では調べられません。かなり密接な関係にないとうつらない菌がベストなわけです。
例えば、HTLV1(成人T細胞性白血病リンパ腫ウイルス:母乳)、ピロリ菌(口移し?)、ハンセン病(乳児期の添い寝から呼吸器へ)、などです。
しかし、最近ふと、おおもとの考古学や遺伝学の見解はどうなのかまったく知らないことに気づきました。そこで本屋さんでたまたま手に取った以下の本を読んでみました。原著は2003年と少し古く、著者のオッペンハイマー先生はかなり個性的な意見を述べており、そのまま一般化できないのですが、読みながらどきどきしてきました。面白かったです。結構有名な本のようですね。