UCLA-9 久しぶりに研修医の気分になった

今回は2日分。
昨日は、午前中から昼過ぎまで招待してくれた教授の最近の研究結果についてレクチャーを受けました。学会の特別講演を1人で受けている状態でした。最新のデータを怒られないかかとびくびくしながら、たくさんメモしました。夕方はある用でジョン・ウエイン癌研究所(John Wayne Cancer Institution)を再訪。ダーモスコピー(皮膚面を拡大し、なおかつ偏光レンスやゼリーなどを使用して皮膚の深いところの色や血管の状態を見られるようにした機器)を持って行きました。ヨーロッパや日本では盛んに使われていますが、アメリカではまだだといううわさを聞いたので、持ってきたのです。持参のコンピューターで画像がリアルタイムににみれる機種を出発前に買いました。値段はかなり安く、ジャンクな領域の製品ですが、購入後に試してみると結構いけます。
お世話になっている先生の部屋でダーモスコピーのお披露目をしたところ、同席されていた先生が面白がってくれて、ここの大御所にも見てもらいたいから連れてくると言われて部屋を出て行きました。あの方が、それもこんなジャンクな道具を見に(ちゃんとしたのを持ってくればよかったと後悔・・・日本のダーモスコピーの専門家にすまない)。そして、いらっしゃいました。
JWCC
ジョン・ウエイン癌研究所(John Wayne Cancer Institution)


ニコニコして部屋に入って来られました。ダーモスコピーの原理や有用性を説明したところ、明日自分の外来にその機械を持って来いと言われました。えらいことです。翌日の研修予定をキャンセルし、夜ホテルでウエブサイト上にあるトレーニング覧で基本をもう一度おさらいしました(よって昨日はブログを書く余裕がありませんでした)。ほとんど白人のほくろを見たことがないのです。悪い夢を何回か見ました。コンピューターが盗まれてしまった。コンピュータが立ち上がらない。ダーモスコピーのライトがつかない。
今朝になりました。BBBというサンタモニカ市のバス1番に乗って出かけました。外来はフェロー(研修医を終えて専門医を取るためのコースにいる医師。このコースが終了すれば、どこかの大学の講師に採用され、規定年限以内に准教授になれれば、教授への道が決まるとか。)の診察が終わった9時半から開始。先生について診察開始です。まず患者の紹介状、病理検査レポート、画像を見てから、(日本と違って、患者さんは前もって個室に待機しています)大御所、フェロー、私で伺います。部屋のドアには担当の医師名のシールが張ってあります。
まず、私を、日本のニューテクノロジーを持ってきた皮膚科医だが、一緒に診察してよいか、と聞いてくれます。みんな心よく承諾してくださり、診察が行われます。ほとんどすべてメラノーマの術前(皮膚科医による生検済みで紹介されてきた患者さん)、センチネルリンパ節生検後、根治的手術後(こんちてきしゅじゅつご)です。リンパ節郭清(りんぱせつかくせい:転移があったリンパ節の周囲の脂肪をごっそり取ること)後にドレーン(脂肪を取ったあとには隙間が残ります。ただ縫っただけでは手術が終わった後にに水や血液がたまってしまいます。こういうタマリにはばい菌が付きやすくなります。そこでチューブを入れて、しばらくの間、出てきた水や血液を吸い上げるようにしておくのです。これをドレーンといいます)を置いても、即日退院か翌日退院です。ドレーンをつけた患者が外来に来ます。アメリカは退院するのがすごく早いんですね。日本なら1-2週は入院していると思います(ヨーロッパ、オーストラリアも日本と同じようです)。もう、手術の適応がなく、化学療法(こうがんざい)治療を勧められ、腫瘍医(化学療法専門医)を紹介される方もいました。
中にはすごい患者もいました。入院せずに手術当日の帰宅を希望していた方ですが、「帰りに運転して帰っていいか?」と聞いたんです。さすがに先生は「全身麻酔の後だぞ。当日の運転はダメ」と答えていました。「じゃ、次の日は?」には「午後からならOK」とフェロー。すごいことです。全身麻酔の当日に運転して帰ろうなんて、日本ではまず考えないですよね。翌日だってね
すばらしい診察でした。無駄もなく、かといって急いだ様子は全くありません。ゆったりとした間があって、笑顔のタイミングがすばらしい。声がいい。笑顔が青年のようでちょっと茶目っ気があっていい。話すスピードもいい。ジョークも交えてゆったりと診察が進んでいきます。ときどきシミをみるように言われます。幸い難しい病変はなかったので診断名を言うと、同意してくれて、私の言った医学用語(一般の方が使う英語病名を知らないので)をわかりやすい言葉で患者さんに説明します。1患者30分ほど、昼食も休憩もなしで14時半にいったん終了。私はここで失礼しました。年をとることの待ち遠しさのようなものを感じだ1日でした。
追記:先生が退出してから、最後にフェローとちょっとお話。小さい頃に日本に住んでいたことがあるそうで、私の住んでいる町のことも知っていました。このフェロー、すべての動作に東洋的な礼がにじみます。後で知ったのですが、かなり優秀でなければこの病院のフェローになれないんだそうです。

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