18歳の少女の死とColey先生の免疫療法とロックフェラー(2)

前回の記事(18歳の少女の死とColey先生の免疫療法とロックフェラー)より

少女Elizabeth (“Bessie”) Dashiellは、1890年にNYの外科医William Coley先生(当時28歳)に肉腫の手術を受けました。腕を切断して腫瘍を完全に取り除いたにもかかわらず、転移を起こして翌年18歳の若さで亡くなってしまいました。今から125年前のことです。彼女の死に手術の限界を感じたColey先生によって溶連菌を用いたがんの治療(Coley’s toxin: コーリーの毒)を生み出されました。そして彼女の死は、もう一人の人物にも大きな仕事をさせることになりました。彼女の友人であるJohn D. Rockefeller Jr.、スタンダード石油の創始者であるJohn D. Rockefellerの一人息子です。

サイト The Legacy of Bessie Dashiell

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John D. Rockefeller Jr.は兄の紹介でElizabeth (“Bessie”) Dashiellと知り合い、姉のように慕っていたようです。彼は彼女の死に大きく動揺し、そしてがんの治療に関する慈善事業を思い立ちました。Elizabeth (“Bessie”) Dashiellが治療を受けたColey先生の勤めていたMemorial病院(米国で初めてのがん治療を中心とする病院)の初期の援助者になりました。この病院は、その後GMのCharles KetteringとAlfred Sloanの援助により規模を拡大しました。有名なMemorial Sloan-Kettering Cancer Centerという名称になりました。

もうひとつ、John D. Rockefeller Jr.はがん研究を行う大学を作りました。ロックフェラー大学です。1911年、Peyton Rousによるがんを起こすウイルスの発見、1944年のOswald Avery, Colin MacCleod,  Maclyn McCartyによるDNAが遺伝を司ることの発見、そして1970年代のRalph Steinmanによる樹状細胞の発見(ノーベル賞の発表の数時間前に亡くなっていたことが話題になりました。彼自身が自分のがんの治療として樹状細胞療法を受けていました)、などの仕事がこの大学でなされました。

がん免疫療法はメラノーマという稀少ながんの治療として数年前から花が開き始めました。がん免疫療法の始まりについては知らないことが多かったので、ドキドキしながら元サイトの記事を読みました。ただ、この記事は少数のサイトをほとんど直訳したものなので、間違いがあるかもしれません。

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