2021年大晦日4

紅白を見ながら1年を振り返っています。

宮本さんの夜明けの歌、いいです。乃木坂46最後。

9月は2年前から準備していた学術会議を開催できました。コロナ禍がこんなに長引くとは思わず、かつ緊急事態宣言下という最悪の状況での開催になりました。完全WEBにするか会場をに人を入れるハイブリッドにするかずいぶん悩みました。そんなとき、木村弓さんが札幌に起こしいただけることが決まり、会場が関係者だけになってもいいのでハイブリッドで開催することを決断しました。200名の先生に現地に起こしいただけました。

2021年9月の記事

紅白は北酒場 細川さんも大泉さん いんでないかい

夜桜お七・・・きれいだなぁ

藤井風・・きらり 自宅から 膝に乗せたキーボードで いい

えー 会場に来た

10月

7年ぶりに改訂したダーモスコピーの本が出版されました。師匠の齋田先生のお手伝いをした書籍です。

ダーモスコピーのすべて(第2版)

9月の学会にお呼びした木村弓さんがご自身のHPでコンサートのことを紹介してくださいました。木村さんの演奏は心に滲みました。やはりリアルはいいです。ご主人の中川さんは多くのCMソングを作曲されていて、黒ウーロン茶や骨髄バンクの曲などを披露してくれました。

木村弓さんのHP

紅白はめ組のひと、から星野源。

10月末には2年ぶりに道外の学会に出席しました。宮崎の学会では若い頃から手本にしてきたレジェンドの講演の座長に呼んでいただきました。リアルにお話が聞けて感動しました。

11月

学会で2年ぶりに東京に行きました。羽田空港も会場の京王プラザも久しぶりの感じはなく、それがかえってこの2年間の記憶のふわふわ感が実感されました。リアルに知り合いと話せる喜びを感じました。11月中旬には40年ぶりに学会で奈良に行きました。東大寺も春日大社もよかった。

紅白はBUMP OF CHICKEN

12月

年々年末感は薄れているのですが、今年も皮膚がん診療に興味をもつ若手皮膚科医を増やしたいという試みで3年前に始めた合宿を12月25-26日に大津で開催しました。クリスマスしか日程が空いていなかったのですが20名の塾生と同数の皮膚がんのエキスパートが講師として全国から馳せ参じてくれました。教える側として参加するのですが、いつも教えられることの方が多いセミナーです。忙しい診療の合間をぬって集まってくれた先生方に感謝感謝です。来年もやります。

NPO法人皮膚オンコロジー若手教育機関

紅白はさだまさしの道化師のソネット

東京事変・・・かっこいいなぁ

薬師丸ひろ子・・・背景の映像がすごい

石川さゆりの前座にKREVAとMIYABIだ 贅沢だなぁ 背景の墨絵もすごい

布袋さん いい 福山さん 道標

ミーシャ 明日へ から Higher love 藤井さんと 贅沢だなぁ

また来年

 

2021年大晦日2 80歳でアレルギーの恐れから食べられる食品を制限された女性の話

大晦日に紅白を見ながら1年を振り返ってます。

4月 フキノトウのアレルギー 

アレルギーの原因を知りたくて来院する患者さんは少なくありません。血液検査をしたら一発で「00が原因です」とわかると誤解している方が結構います。食べ物の種類は何万?種類もあるので血液ですべてを調べることはできません。原因をしぼる必要があります。原因をしぼるために必要なのは患者さんの記憶と医師の問診です。パッケージ化された血液のアレルギーのセット検査だけやって、原因?で受診される方が後を絶ちません。

もっとひどいのは、血液検査で陽性に出たから食べないようにと指導されることが未だにあることです。ある80代の女性が食べるられるものがないとのことで受診されました。食べられる食品を探してほしいとの希望でした。話を聞くとあるクリニックでアレルギーの血液検査をしていくつかの食品が陽性になり、それらを食べないように言われたようです。話を聞けば、これまで食物でアレルギーを起こしたことはないとのこと、全部食べてよいとお話ししました。血液検査より実際が重要です。現在保険でできる検査には限界があるのです。

紅白はすぎやまこういちさんシリーズからAI。

2021年大晦日

紅白も始まったので今年を振り返ります。紅白はキメツから郷ひろみ。

1月 昔の記事のリバイバル

手を切った・・・血が止まらない・・・止血の方法を間違えている方が今でも結構いるので再掲しました。指をしばってはいけません。ピンポイントで押さえてください。

シモヤケになった・・・よくある病気のようですが、70歳すぎて始まった場合はシェーグレン症候群のチェックをした方がよいのでは・・・という記事です。後輩が調べてますがちっともシェーグレン症候群はありません・・と言われました。多くはないけどときどきあります。

ホクロを取ったら危ないか?・・・これも以前の記事のリバイバル。結論は危なくないです。良性は良性です。

純烈 消毒しながらマジックハンドの握手・・・気を遣ってます。もう終わってほしいです。

輪になる皮膚病・・・輪になる・・・水面に石を投げ込んだように炎症もはじまるのでしょう。そんな現象をよく観察できるのも皮膚を診る科ならではです。なぜ中央は治り?事件は外に逃げて行くのか?不思議です。

1月は週末バンケイスキー場に通いました。今でも少しずつうまくなる感じがしてうれしいです。膝を前に入れる、落とし込む、でしょうか。運動神経のよい友達は中学の頃に達成していたであろう領域にやっと近づいているかもしれない感じ(勘違いかも)がうれしいのです。

2月

自分を釣ちゃった話・・・昔グアムで息子に釣り針がかかってしまって、クリニックで針を取ってもらった時の話です。対応してくれた先生の子供に対する対応がすばらしく、この時から子供さんにも大人のように対応しようと思うきっかけになりました。

体が温まると皮膚がチクチクする・・・発汗に伴うじんましんや場合によっては汗が出なくなる病気について説明しました。

紅白・・・雪の清水寺・・・ライブ きれいだな

2月も近場のバンケイスキー場によく行きました。

3月 年度末について触れました。バンクシーをまねてステンシルで遊びました。

紅白は知らない方ばかりで、コメントできません。家にTVがないせいですね。

あっ。マツケンサンバ・・始まった。これは知ってる。

 

木村弓さんがHPで学会でのコンサートのことを紹介してくださいました

第85回日本皮膚科学会東部支部学術大会(札幌、2021/9/18-19)にお呼びした木村弓さんがご自身のHPでコンサートの模様を紹介してくださいました。演奏は心にしみわたり、とても良い思い出になりました。木村弓さんとご主人の中川俊郎さん(ピアノ)に感謝いたします。

http://www.youmi-kimura.com/

1人、演奏している、立っている、室内の画像のようです

 

まねはできない

齋田俊明信州大学名誉教授は私のお師匠です。現役の時は起きている時間のほとんどを学問に費やしているような先生でした。退官後は少しゆっくりされるのかと思っていたら、アクティビティーは全く変わらず、論文も書籍もどんどん出版されています。このたび、ダーモスコピーに関する書籍を改訂されました。密度が濃い、重たい書籍です。少しお手伝いしました。私の軽薄さが加わって本の重さを下げてしまったかもしれません。

ダーモスコピーのすべて(第2版)2021

 

ほんのちょっとの勇気

一昨日、2年間準備してきた学会(エキスパートの先生から学んだり、新たな治療や診断、原因がわかった病態や症状を学ぶ場)を無事終えることができました。企画を検討してきた2年間はとても楽しく、このようなことができる立場に押し上げてくれた方々にあらためて感謝しました。

 

頭の中に思い描く夢に限界はありません。でも、具体化するためにはいろいろ制限がありますのでいろいろ調整が必要になります。でも可能な限り夢をみたい。まず、学会にはきっと、お母さん先生もたくさん来るだろう。できればお子さん同伴で来てくれたら、普段忙しくしている母の仕事のなんたるかを感じてもらえるのではないか。なら、母と子で楽しめる企画を、と、考え、(というのは建前で、本当は私が一番聞きたかった)木村弓さんに恐る恐るメールしました。生演奏と生歌はすばらしく、心に滲み、涙がでました。緊急事態宣言下でお越しになれなかった先生も多くて、申し訳なかったのですが、やはりリアルはいいです。映画は映画館で、コンサートはコンサート会場で、落語は寄席で、学会はリアル、ですね。

 

今回のイベントでもう一つ考えたのが、仕事仲間とのアンサンブルです。(ちょっとおおげさですが)恥をかくかもしれない状況に自分を追い込む、状態を作ろうと思いました。でも、生まれて初めて、みんなで作る音楽の楽しさを知りました。10代で知っていたらよかったなぁ、と思う反面、(私の場合は)今の年齢になったからこそ受け入れられたのかもしれません。

 

今回のイベントでは本当にたくさんの方にお世話になりました。感謝いたします。また新しい多くのつながりができたことがうれしいです。あと定年まで数年ですが、また面白いことを考えていきたいと思います。

コロナのせいで出張がなくなり、実は夏の週末を地元で過ごせる時間が増えました。カヤックかフライフィッシングに出かけていましたが、今年はよいサイズがかかりました。ちなみに上図、網で捕まえたんじゃないです(為念)

 

フキノトウのアレルギー

このところほぼ毎週末は散歩を兼ねて近所の動物園に行きます。目当てはシロクマとレッサーパンダとユキヒョウです。先週末ぐらいから園内にフキノトウやクロッカス?が咲き始めました。背景が乾いた土や枯れ草ですから花の色が余計に際立ちます。やっと春らしくなってきました。今回は2011年の記事の再掲+追記です。

フキノトウのアレルギー(2011)

動物は自分以外(時に自分も)の生物を食べて生きてますので、当然のように自分の体に自分と違うものが入ることになります。体には外から入るバイキンと戦うシステムがあります。免疫といいます。

この免疫のシステムが本来の仕事以外の余計なことを始めると困ったことになります。多くの病気が引き起こされますが、花粉症や食べ物のアレルギーなどもそのひとつです。アレルギーは個人個人の問題ですから、例えば魚介類でアレルギーを起こしたことの無い人が「一般に鯖はアレルギーを起こしやすい魚だから食べないようにしている」というのはあまり意味がありません。無理に食べろと言っているわけではありませんが。

前置きが長くなりました。フキノトウにアレルギーがある方がいます。珍しいです。ふき味噌や天ぷらを食べた後に、ノドがイガイガしたり(口腔アレルギー症候群:こうくうあれるぎーしょうこうぐん、oral allergy syndrome: OAS)、じんましんが出たり、お腹が痛くなったり、苦しくなったり、という症状がでます。天ぷらなどですと衣にくるまれているせいか、口の中を通り過ぎてお腹に入って吸収され始めるまで時間がかかり、何時間が後に症状が出る場合もあります。

原因は雄花の花粉であることがわかっています。フキそのものや、雌花やフキノトウの周りの苞(ほう)にはアレルギーはありません。原因となる花粉に含まれる成分は熱や酸やアルカリにも強いので、調理してもアレルギーが起こるんですね。フキノトウは食べなくても特に問題となるものではありませんが、好きな方にはつらいかもしれません。理論的にはフキノトウの周りの苞(ほう)のみであれば食べることができることになりますが、花粉などがついていればやはり危険かもしれません。

子どもの頃からフキノトウはその辺に生えているものでしたので、スーパーで売っているのを見ると違和感を感じます。でも最近はあまりその辺に生えていませんし、道端のはちょっとなので、1-2年前からは道の駅などで買うようになりました。天ぷらもふき味噌も好物です。ふき味噌はよい味噌を使うと砂糖などの味付けも不要で、食が進みます。

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3月31日

当地も春の空気がただよってきました。まだ木々に色はありませんが、昨日は大通公園に50cmほどの雪の塊が点々と残っているのを見て、なんだか逆に愛おしく感じてしまいました。今日は年度末の日です。次のステップに羽ばたく方たちが別れの挨拶に来ました。いつものことですが、ぼちぼち行こうね、とにかく続けてみようね、が私の別れの言葉です。なんたって平均余命は90歳弱に伸びています。医者になり立ての20歳代後半の先生には「あと最低60年くらいはやらないといけないかもよ」といいます。先はずいぶん長いのです。農業や自営の方も同じですね。

そして、今日定年を迎える方も多いと思います。お疲れ様でした。私は定年まであと5年です。まだ先は長いです(と思いたいです)。楽しいことを企画していきたい思います。

明日は職場に新人がやってきます。楽しみです。

ステンシルで遊んでみた 結構楽しい

 

自分を釣っちゃったお話

昔、私の故郷には小学校に寒中休みというのがありました。2月の1週目ぐらいに数日間休みになります。私の子供の頃は農繁休暇というのも秋にありました。家業(農家)の収穫を子供が手伝えるようにしたしくみです(たぶん)。確か明治に義務教育制度を作ったとき、労働力である子供を学校には行かせなかったので最初はうまくいかなかった、というような失敗例があったと教わった記憶がある。そんなことに配慮した制度だろうか?(少し思い出した。たしか家業を手伝うという教育的な目的があったかもしれません。先生たちのもくろみはいつも美しいです。でも時代的に家業というのが廃れ始め、親父は毎朝どこか?に出かけていくという状況が増えて、消滅しっちゃったんでしょうか)。夏休みがあるなら寒中休みがあってもいいのだが、個人的には自分の夏休み前に田舎にやってきて、自分の夏休みが終わっても東京に帰らずに夏を楽しんでいる東京のいとこがうらやましかった。中途半端な寒中休みをなくして夏休みにくっつけてほしいと思っていた。

さすがに寒中休みは20年前になくなったが、なくなる前は普段激混みのテーマパークなどに故郷のナンバーをつけた車がひしめいた。我が故郷に特化?した休みなので平日は家族で休みがとれればオフシーズンでもあり、ホテルもツアー料金も格安である。

寒中休みの制度がなくなる直前の20年前に1年で最も安い価格でグアムに行った(安いのはいいが、人があまりいないリゾートは寒々しくて、なんとなくどうかなと思った)。せっかくだから釣もと思って自作の毛針も持って行った。そこで息子が自分を釣ってしまったのである。普通はバーブレス(返しのない針)しか使わないのだが、なぜか運悪く自分を釣った針には返し(かかった魚から針が抜けないように先端がV字なっている針)が残っていた。針をちょっとだけさらにグッと押し込んで先端を皮膚から出し、先の返し部分を爪切りで切れば簡単に抜ける・・・と息子に提案したが同意をえられなかった(そうだよな)。

ホテルの手配で病院に向かった。世話をしてくれたグアム在住の女性は「この前は1日に2回もこんなにぶっといカジキ用の針を刺して病院に行った日本の社長さんがいたわ」などと慰め?てくれた。

病院では医師が息子に向かって「局所麻酔が必要なんだ。ちょっと痛むけど、どうする?」「大丈夫です。早くやってください」、と、説明同意がすみやかに行われた。局所麻酔は問題なく終了した。しかし、医師は、なぜかそこで額にしわを寄せて考え込むようなそぶりをした。「この毛針は君が作ったのか?」「そうです」「うーん、問題がある。針の先端を切らなければいけないので、この毛針は使えなくなってしまう。それでもいいか?」息子(と私)は一瞬「何を言ってるんだ、この状況で・・・」と思ったが直ちに大きく頷いた。あっという間に針は除去された。医師はニコッと笑って褒めてくれた。私もなんか父らしいことを言おうと思い「今回のことで釣りをきらいにならないでほしい」と息子に言いました(情けないです)。(多分に脚色されています。ごめん、息子)(釣りは続けてくれています。関連記事(パイロットが飲める抗ヒスタミン剤、鱒で酒蒸し

でも、感動したんですね。子供に対しても大人と同じように誠意とユーモアをもって接する先生の姿に。息子はかわいそうな思いをしましたが、私はとても勉強になりました。

そんな昔のことを思い出した動画です。

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